神奈川県下イトーヨーカドーから見るGMS立地・空間構成の変化
総合スーパー(GMS)であるイトーヨーカドー(以下、「IY」)は、例えばサティ由来のイオンやダイエー、平和堂といった他のGMSブランドと比べて、極めて「東京的」なチェーンに感じられます。
例えば店内の陳列が整然としていて夾雑物が少ないこと、プライベートブランド商品が多いことも相まって、店舗ごとの品揃えやディスプレイの個性が少ない(=本部の指導が強い)ことに気付かされます。
私が商業施設巡りを始めたのはここ数年のことで、大人になるまで身近にIYがなかったため、古くからこうした「優等生的」なチェーンストアであったかはわかりませんが、少なくとも、イトーヨーカドーがこれまで出店してきた店舗は、それぞれの時代のライフスタイルや消費嗜好を捉えた立地・店内空間となっており、その上で店舗の標準性が高いことから、時代時代に求められた大規模商業施設像をこじらせることなく反映しているように見えます。
このページでは、神奈川県下に立地するイトーヨーカドーの現存店舗のうち代表的な店舗を通じてGMSの展開を追いかけます。
GMS勃興期の店舗
相模原(開業年1972、店舗番号029)、藤沢(1974、047)
相模原店は小田急線の小田急相模原駅前の商店街に面する、神奈川県下のイトーヨーカドーでは最古の店舗です。内装についてはリニューアルされ、最上階である4階にはニトリや百円ショップが入っていますが、狭い敷地に建蔽率いっぱいに建てられたハコ、角丸長方形の窓が連続するファサード等に既存の市街地のスケールで建てられた、いわゆる「昭和なスーパー」の雰囲気を感じさせられます。店舗正面が商店街に面していることもあり、既成市街地の大型店と小型店・個人店が、対新市街地・対郊外モールとの競争環境下で共生関係にあることも伺えます。
GMS興隆期の店舗(商業地型)
たまプラーザ(1979、085)、茅ヶ崎(1979、088)、大船(1981、105)、綱島(1982、108)、上永谷(1982、114)、武蔵小杉駅前(1983、115)、伊勢原(1985、125)、溝ノ口(1986、131)
上永谷店は横浜市営地下鉄ブルーラインの上永谷駅前に位置する地下1階を含む4階建ての店舗です。ヨーカドーの直営売り場の他、1階にマクドナルドやサーティーワン、コージーコーナー等のちょっとした専門店が入居し、3階に八重洲ブックセンターや中華料理屋が入居する等、GMSに典型的なテナント構成となっています。駅の周辺は横浜市の南郊開発に伴いベッドタウンとして切り拓かれたエリアであり、一帯の居住者たちに最寄り品を供給するとともに、バスと地下鉄乗り継ぎの際に寄っていくようなイメージでしょうか。上永谷駅周辺には当店以外に大型スーパーがないため、地域の生命線として賑わっている印象があります。大規模新興住宅地においては、居住人口に比べて店舗の数が相対的に少ないため、1つの店舗に対して求められる役割は高く、さらに、中流層が多く居住する地域になりがちであることから、GMSが成立しやすいと思われますが、その代表例と言えるでしょう。
GMS興隆期の店舗(住宅地型)
洋光台(1979、084)、桂台(1979、087)、若葉台(1982、112)
洋光台店は根岸線洋光台駅から徒歩5分程度に立地し、オリンピックやピーコックストア、東急ストアとともに一帯に広がる公団謹製の計画住宅地の商業核を形成します。店舗自体は傾斜地に2階建てで建っており、これまで挙げてきた店舗とは異なり、食品、日用品と最低限の衣料品のみの取り扱いとコンパクトな店舗になっています。
同じく横浜市港南区に立地する桂台店や若葉台団地の団地センターにある若葉台店はその傾向がより強く、駅から離れた大規模住宅地に居住者の生活を支えるローカルな総合スーパーとして開店しています。もし今出店するのであれば食品専業のヨークマートとなるであろう店舗ですが、この3店舗についてはイトーヨーカドー名義の珍しい小型店となっています。1970年代から80年代にかけて、まだ衣料品系のチェーンストアが本格的に展開する前の店舗業態が残っていると思われます。
GMS円熟期の店舗
新百合ヶ丘(1992、152)、古淵(1993、157)、小田原(1993、158)、鶴見(1998、174)、能見台(1998、187)、川崎港町(1998、182)、横浜別所(1999、199)、川崎(2000、205)、大和鶴間(2001、213)、湘南台(2002、214)、立場(2003、219)
古淵店は横浜線古淵駅から徒歩5分程度かつ国道16号線沿いに立地しており、同日には隣接敷地にジャスコ相模原店が開店し歩道橋で結ばれています。このため、この時期に流行し始めた「2核1モール型」かつ自動車による来店を強く意識した巨大店舗となっています。
このような立地・構成は大和鶴間店でも見られますが、これまで出店を続けたきた地域での商業床が飽和しつつあった1980年代頃より、国道16号線沿い及びその外側のような東京遠郊外地域での商業開発が行われることになりますが、人口密度が相対的に薄く自動車の利用率が高いこの地域においては、商圏を広く取って薄く広く集客することが、これまで都市の中心や近郊で成立していた商業施設が立地するための必須条件となってきています。そのため、施設一体としての強い求心性、かつ自動車によるアクセスしやすさを高めることがほぼ唯一の解となります。
このような商業施設の立地傾向は、場所を問わない国民の消費嗜好の変化、すなわちGMSのような薄く広いラインナップから大型専門店への遷移と相まって、イオンモールやららぽーとといった郊外型巨大ショッピングモールとして結実しますが、古淵店や市内にあった中央林間店と大和店を統合、郊外移転する結果となった大和鶴間店はその移行期に花咲いた異色の存在ともいえるでしょう。
他方、これまで対象としてきた近郊部において、計画住宅地の新規造成や工場の撤退等による再開発によりこれまで通りGMSが新規出店していることもあり、新百合ヶ丘、鶴見、川崎港町、横浜別所、能見台等がこれにあたりますが、駅から少し離れた場所、あるいは駅前でも駐車場を広めに取っていることが特徴です。さらに店舗の規模そのものも90年代以前の店に比べて大型化しています。都市部においても、様々な専門店が出てくる中で、敷地に余裕がなければGMS業態を取る必然性がなくなってきたともいえます。
横浜別所店は京急線上大岡駅の北のはずれにあり、上大岡駅からは徒歩15分程度離れています。売り場は2階までで、その上に3層分駐車場が乗っかっているのも特徴で、いかにも駅前立地ではない郊外型GMSという様相です。店内は1階にフードコートがあり、マクドナルドやサーティーワン、ミスタードーナツ等いつものメンツが入っています。この時期にできたGMSについては、商圏が狭いためローカル色が強く、近隣在住・通学の学生や家族連れの割合が高いように感じられます。
GMS変容期の店舗
ららぽーと横浜(2007、238)、アリオ橋本(2010、247)、グランツリー武蔵小杉(2014、272)
立場店を最後に、純粋なGMSとしてのイトーヨーカドーは建設されなくなり、大型モールであるアリオやグランツリーといったモールの1テナントとして入居することとなります。もちろん、アリオやグランツリーは7&iの展開するブランドであるため、そのモールの核テナントであることには違いありませんが、それ以前の「イトーヨーカドーと●●の専門店」といった主従関係はもはや見受けられません。
なお、これは親会社が同じそごう西武百貨店にも言えますが、イトーヨーカドーは特にその「優等生ぶり」が災いしてか、本部の方針でもう経営が持たないと思った店舗については悪あがきせず撤退する傾向にあります。GMS興隆期の店舗についてはいずれも食品館等への縮小あるいは別業態への転換があり得ますので、訪問はお早めに!