戦前町制の町場巡りという目標
日本全国津々浦々を巡りながら伝統的な町並みの良さに気付き始めた後しばらくして困ってくることは、その地方にどのぐらいの町場が存在するのかを掴みづらいところです。
伝統的な町並みは、その価値が景観であったり、歴史的風致であったり、生活共同体の雰囲気であったりすることから、たとえば都市巡りにおける都市人口やDID人口、都市圏人口のような定量的な評価がしづらく、抽出してリスト化することが難しいです。
一つ代表的な指標を選ぶとすれば、文化財保護法で規定されている文化財のジャンルの1つに「重要伝統的建造物群保存地区」(略称、重伝建)があります。これには日本全国の伝統的な町並みや地割、空間構成を有する町場や村落のうち、特に価値の高いと認められる100余りのものが選定されています。
ただし、重伝建に選定されるためには、まず、地域の住人の方々の間で、伝統的な風致を守っていくというコンセンサスが取れていることが条件であり、また文化財に選定されることによって様々な縛りが生じることから、重伝建になることが地域にとってメリットになるとは限らず、それを志向しない地域もあることから、よって一息に重伝建に選ばれるから凄い、選ばれないから凄くないというわけではないです。
そもそもおおもとに立ち返ると、全国の町場や村落が成立した経緯やこれまで町並みが保全されてきた理由は異なり、そんな生立ちも経緯も全く異なる町並みの優劣を比べることは困難ですから、全国から100余りの町並みを選び、それを以て権威のように扱うことはどの地域に対しても失礼でしょう。
もちろん、重伝建制度自体が、伝統的な町並みを守ろうという地域のニーズによって生み出されたものであり、重伝建に選ばれた地域は、それによる生活上の制約を負ってまでも町並みを守ると地域全体で決めたわけですから、どの地域をとっても賞賛されるべきものです。
ただ、前近代から近代にかけて形成された伝統的な町並みは、一部に特異点のようなものも多少ありますが、風土や文化の似た一帯に広く見られるもので、その中から特に保全状態が良く、コンセンサスが取れたものが、同輩中の首席の形で重伝建になっているわけですから、やはり、重伝建以外の町並みについても目を向けたいと思うのは当然の成り行きでしょう。
そうなると重伝建より一桁多い全国数千箇所というスケールで拾い上げる必要があります。そこで、目を付けた指標が「戦前市町制」という指標です。
これは、市町村制が施行された19世紀末から1945年の終戦までの間に市制を施行した、あるいは町制を施行した自治体を、伝統的な町場が当時存在したものと捉えて、その一つ一つを巡っていこうというものです。
対象となる町や市は全国でおよそ2000余りありますので、粒度としては重伝建より格段に細かくなります。また、昭和や平成の大合併の影響を受ける前ですから、一つの自治体に2つ以上の大きな町場が存在するといったノイズもかなり少なくなってきます。
たとえば、3番目に対象自治体の少ない山梨県でも、甲府、勝沼(現甲州市)、塩山(現甲州市)、加納岩(現山梨市)、日下部(現山梨市)、諏訪(現山梨市)、石和(現笛吹市)、市川大門(現市川三郷町)、鰍沢(現冨士川町)、身延、小笠原(現南アルプス市)、韮崎、谷村(現都留市)、下吉田(現富士吉田市)、上野原、大月、猿橋(現大月市)といった、各郡において2~3個の代表的な町場を抽出することができます。
少し欠点があるとすれば、1945年までを評価基準とするため、その後のあれこれによって伝統的な町並みが完全に喪われていたり、都市化によって上書きされているようなケースがあることでしょうか。
それでも、そのような欠点を補って余りある精度があり、戦前に町制した町場には必ず面白い何かが眠っているといっても過言ではないと思います。特に市制や町村制が導入された当初から市や町であった地域はそれまでに十分な資本蓄積を経ているところばかりで、そのストックは形を変えながら今に至るまで何かしらの形で残っています
最後に、戦前町制の町場なんてどうやって調べるんだという話が出てくると思いますので、下にまとめたエクセルファイルを置いておきます。戦前町場巡りのご参考にご利用ください。
それではよき町並みライフを!