防火建築帯の意義に立ち返る

防火建築帯
魚津 中央通り

 中心市街地の発展・更新が昭和40年代で止まったような地方都市に訪れた際に、よく駅前や商店街で写真のような町並みをみかけた経験がありますか?

 こうした町並みは、戦後の都市計画・都市デザイン史の中で一定の位置を占める「防火建築帯」制度に基づく建築として一般化し、その後防災建築街区や、商店街の共同建替ビルに引き継がれながら、昭和20年代から昭和40年代頃まで造り続けられることになります。

 防火建築帯が誕生することとなった背景には、戦災復興にあたり都市の防災性の向上のため、戦前からの防火・防空研究の成果をフィードバックした防火帯の形成が復興計画に謳われたこと、また、建物に対する補助金助成措置である「耐火建築促進法」が昭和27年に施行されたことがあります。こうして、机上に描かれた都市のグランドデザインと実現するためのツールの両方が揃ったことから、全国で一斉に都市の不燃化が進むこととなります。

 なお、施行当初の防火建築帯の指定方針は、
・防火建築帯としての効果とその区域内の経済力とを考慮してなるべく都市の中心部の繁華な商店街を選定する
・現在の建築物の状況や区画整理の進捗状況、地元の熱意等によってはそれらを十分考慮して都市中心部の繁華な商店街以外をも指定しうる
となっており、2ポツ目により、ただ従来の繫華街のみならず、ターミナルの駅前や新しく市街地を区画する防火帯に対しての適用も可能となっていました。

鳥取防火建築帯
鳥取 若桜街道

 防火建築帯事業は、耐火建築促進法の審議中に大火が発生した鳥取市が第1号となり、拡幅され防火建築帯が整備された若桜街道と緑地帯として整備された旧袋川によって市街地を4分割し、大規模な延焼を抑制するという計画が実現しました。このとき整備された防火建築帯は現在でも残存しており、戦前に興った都市美運動の影響を受けた町並みがみられる珍しいスポットとなっています。

 なお、実際に防火建築帯事業が行われた都市については、記事末尾に掲載しています。

 このように戦後20年近くに渡り、その都市の最も枢要な場所に整備された防火建築帯は、大館市をはじめとした諸都市で都市大火の予防という本来の目的を果たすとともに、沼津市のように、美観地区の指定や建築協定の締結を通じて先駆的なまちづくりの引き金になるケースも見られました。

 防火建築帯事業は、耐火建築促進法が昭和36年に廃止され、防災建築街区事業と市街地改造事業に引き継がれたことから、打ち切りとなりますが、それらの事業が街区単位での面的な整備を念頭に置いていたのに対して、防火建築帯は街路を軸とした線的な整備のための事業であったことから、多くの建築主体が共同化やファサードの統一といった点で協力しながら、機能的にも美観的にも優れた市街地を作るという意味で、近現代において「町並み」的な観点で行われた最後の全国的事業とも言えます。

都道府県事業主体市町村補助対象床面積(m2)
※昭和34年度までの実績
北海道函館1,109
釧路261
小樽6.975
旭川4,710
稚内2,547
札幌2,152
室蘭1,079
岩見沢877
宮城仙台1,403
秋田大館12,883
能代2,481
山形山形1,876
福島福島5,719
526
茨城水戸281
日立3,737
土浦356
栃木宇都宮4,257
群馬前橋3,630
高崎3,783
千葉千葉90
3,682
習志野609
船橋1,540
東京都東京91,496
神奈川横浜80,567
川崎7,664
藤沢981
横須賀3,726
新潟新潟6,589
長岡175
富山高岡3,334
魚津14,953
石川金沢5,197
福井福井2,239
岐阜岐阜9,798
大垣10,755
多治見272
静岡静岡19,946
熱海3,592
沼津13,388
浜松3,589
磐田1,077
清水48
富士3,983
島田4,918
愛知名古屋24,525
一宮411
蒲郡6,643
豊橋3,501
京都京都12,353
大阪大阪54,367
2,794
兵庫神戸4,209
和歌山和歌山1,652
鳥取鳥取21,164
岡山岡山9,478
広島広島7,496
254
福山811
山口下関3,086
防府5,317
下松1,164
岩国2,331
香川高松4,131
坂出392
愛媛松山4,785
高知高知4,196
福岡福岡3,555
小倉5,963
八幡9,381
門司6,661
戸畑851
長崎長崎3,301
佐世保3,888
熊本熊本1,905
大分大分2,315
鹿児島鹿児島2,043
防火建築帯補助事業対象都市

参考文献
社団法人全国市街地再開発協会, 日本の都市再開発史, 1991年
一般社団法人日本住宅協会,『住宅』,1960年7月号

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